予備 - 2013.06.21 Fri
最近スマホの充電バッテリーの持ちが悪くなってきた。
充電池というのは充電回数に限界があり、それを超えると一気に持ちが悪くなる。
スマホは3年使っているが実際には充電池は3年も持たない。
なぜ未だに使用できるか?というとスマホ購入時に予備電池も一緒に購入していたからである。
つまり、1個あたりの使用年数は概ね1年半程度ということになる。
買い換えのサイクルが短い人は予備電池を購入するのは無駄かもしれない。
考え方の違いかもしれないが私はスマホやカメラなどは最低でも3年以上は使うつもりで購入するから、
最初に予備電池を必ず購入する。充電出来ない場所で充電切れになっても安心して使える上、
どうせ1年~2年も使えば新しい電池を購入することになるなら最初に予備を買っておく方が得策といえる。
何にでも、備えあれば・・と慎重派なのか?というとそうでもない。
出張や旅行に出かけるときには殆んど予備を持たず手ぶらに近い状態で出かける。
出張や旅行での予備といえば主に衣料品になるが、これが多いと行動そのものがかなり制限されてしまい
疲労の原因にもなり疲れる出張や旅行になってしまう。
だから、基本的には最低限にとどめ、1泊なら完全手ぶら、2泊以上でもウェストポーチかショルダーのみ。
昨年の夏、4泊5日東京出張した際もショルダーバック1つで行った。
着替えは?と思われるが、Tシャツ1枚と下着1枚のみ持って行っただけ。
毎晩、ホテルのお風呂で洗って干しておくことで毎日新しいものに着替えられる。
沢山の荷物を持ち歩く手間を考えると洗う手間は楽チンなものだ。
バイクに乗る際は特に荷物は持ちたくない。
しかし、バイクに乗る時必ず持っていくものがある。それはいつも無駄になってしまう・・
小さな巾着に、包帯、大型絆創膏、殺菌と止血用のテープ、ウェットティッシュなどを入れて
それをウェストポーチなどに入れておく。
万が一転倒して怪我でもしたら・・・と考えると、これは必需品である。
帰ると、今日も使わずに済んで良かったと思いつつ巾着を取り出す。
何の予備を持つか?何の予備を持たないか?そして何の準備をしておかなくてはいけないか?
それはその時々で変わるし、考え方によっても変わるだろう。
子供の頃から、とても欲しい「予備」が一つだけあった。
それは「自分」だ。嫌な場面、苦しい場面、悲しい場面を代わりに受け持ってくれるもう一人の自分。
それがあればどんなにいいだろうとよく考えていた。
自分自身は何にも代えられないからこそ、私たちは現実社会でいつも備えを考えるのかもしれない。
充電池というのは充電回数に限界があり、それを超えると一気に持ちが悪くなる。
スマホは3年使っているが実際には充電池は3年も持たない。
なぜ未だに使用できるか?というとスマホ購入時に予備電池も一緒に購入していたからである。
つまり、1個あたりの使用年数は概ね1年半程度ということになる。
買い換えのサイクルが短い人は予備電池を購入するのは無駄かもしれない。
考え方の違いかもしれないが私はスマホやカメラなどは最低でも3年以上は使うつもりで購入するから、
最初に予備電池を必ず購入する。充電出来ない場所で充電切れになっても安心して使える上、
どうせ1年~2年も使えば新しい電池を購入することになるなら最初に予備を買っておく方が得策といえる。
何にでも、備えあれば・・と慎重派なのか?というとそうでもない。
出張や旅行に出かけるときには殆んど予備を持たず手ぶらに近い状態で出かける。
出張や旅行での予備といえば主に衣料品になるが、これが多いと行動そのものがかなり制限されてしまい
疲労の原因にもなり疲れる出張や旅行になってしまう。
だから、基本的には最低限にとどめ、1泊なら完全手ぶら、2泊以上でもウェストポーチかショルダーのみ。
昨年の夏、4泊5日東京出張した際もショルダーバック1つで行った。
着替えは?と思われるが、Tシャツ1枚と下着1枚のみ持って行っただけ。
毎晩、ホテルのお風呂で洗って干しておくことで毎日新しいものに着替えられる。
沢山の荷物を持ち歩く手間を考えると洗う手間は楽チンなものだ。
バイクに乗る際は特に荷物は持ちたくない。
しかし、バイクに乗る時必ず持っていくものがある。それはいつも無駄になってしまう・・
小さな巾着に、包帯、大型絆創膏、殺菌と止血用のテープ、ウェットティッシュなどを入れて
それをウェストポーチなどに入れておく。
万が一転倒して怪我でもしたら・・・と考えると、これは必需品である。
帰ると、今日も使わずに済んで良かったと思いつつ巾着を取り出す。
何の予備を持つか?何の予備を持たないか?そして何の準備をしておかなくてはいけないか?
それはその時々で変わるし、考え方によっても変わるだろう。
子供の頃から、とても欲しい「予備」が一つだけあった。
それは「自分」だ。嫌な場面、苦しい場面、悲しい場面を代わりに受け持ってくれるもう一人の自分。
それがあればどんなにいいだろうとよく考えていた。
自分自身は何にも代えられないからこそ、私たちは現実社会でいつも備えを考えるのかもしれない。
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