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2017-07

【苦闘の1カ月】 (8) 誕生日 - 2012.06.24 Sun

家に戻り、またネットで病気について調べる。
フィッシャー症候群というのはごく稀な病気であることから、なかなか多くの情報が
集められない。医学的な情報ではなく、看病している家族の立場からすれば体験者の
生の声が聞きたいものである。ところがそうした情報がとても少ない。
人によって症状の出方もかなり異なるようで、軽度の人は気付かないうちに完治する
こともあるようだ。また、一般の病院では症例が殆どないことから見過ごされるケース
も多いようで、症状が悪化してから精密検査して病名が決定することもあるようだ。
そうした意味では、今回とても幸運だったと思う。各病院の先生の的確な判断により
当日入院し翌日から免疫治療が開始された。このスピードの速さは稀なケースだろうと
思われる。それぞれの病院の先生方に感謝の気持ちでいっぱいになった。

【5日目】2月28日(火曜日)
ネットで情報収集したあと、入浴して床についた。既に今日も深夜1時を回っている。
もう既に日付が変わっている・・・・あっ、今日は私の誕生日だ!ベッドの中で一人
迎える誕生日。しかし、そのことはあまり寂しさも感じない。
誕生日は何故か一人のことが多い記憶がある。もちろん今は子供たちがプレゼントを
買って祝ってくれることが多いのだが、昔から家内が居ないことが多い気がする。
初めて家内に出会った年も一人だったし、確かその翌年も一人だった。結婚後も何かと
予定があったり出張だったりして一人のことが多かった気がする。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

記憶を更に遡ると、やはり誕生日は一人のことが多かった気がする。島育ちの私にとって
友達の存在はある意味兄弟のようなものだった。幼稚園から高校生まで殆ど同じ顔ぶれで
過ごすある意味特殊な環境がそう思わせるのかもしれない。だから誕生日ともなれば、家
に集まり騒いで遊ぶのが慣習になっていた。幼少期、私もそうしていた記憶がある。
しかし、中学生にもなると照れくささもあり誕生会を開くのは一部の人たちになってくる。

私の友人は男女とも何故か2月生まれが多かった。そして・・初恋のKさんも2月生まれ
でKさんの友達でもあり私の友達でもあるMさんも2月生まれだった。だから2月は誕生
会が多い。初恋っていっても単なる方想いである。Kさんからは私のことは疎まれていた。
だからKさんとは一度も話をしたこともなく、ただ遠くから眺めているだけだった。
そんな中学2年生の2月、Mさんから誕生会の誘いがあった。私がKさんと話をする機会
が出来ればとの思いからである。誕生会には男女十数名が集まった。もちろんKさんも
その中の一人だ。しかし、内向的で寡黙な少年(私)は話しをすることすら、傍に行くこと
すらできない。どことなくKさんも私を避けているように思えた。
そんな様子を見てMさんは私に「S君(私)も今年は誕生会したら?私がKさん連れて
行くから」と言ってきた。

私が主役なら話しが出来るかもしれない・・・そんなことを考えながら、数日後母に、
「今年は誕生会する」とぼそっと呟いた。母は「ええねぇ、準備ちゃんとするから」と
言った。しかし日が押し迫ってくると私は迷った。そんなある日Mさんが「誕生日会
どうするん?」と聞いてきた。私は「せん」と一言答えた。
そして迎えた一人の誕生日、もちろん家族は居るのだが私は一人部屋に籠ってベッドに
寝転がり天井を見つめていた。そう今と同じように・・・
これでいいんだ、誘って断られる辛さに比べれば、一人でこうして天井を見つめている
辛さは比べるに値しない。そう思った。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

そんな記憶の旅をしている間に眠ってしまった。
5時半、目覚ましの音に驚いて目が覚める。いつも思う、もう少し驚かさずに起こしてく
れる目覚ましはないのか?と。目覚ましはきっと体に、特に心臓に悪いだろうなと思う。
いつもように目覚めのコーヒーを飲むが、早朝のコーヒーはとても美味しいといつも思う。
今日は少しでも家内の容態が改善していて欲しい。毎日そう願いながら病院へと車を走ら
せる。

早朝の病院は人気がなく静かだ。通常の玄関口はクローズされているので、警備員室横の
通用口から入る。早朝から開いている売店では毎日パンを焼いていて、ちょうどその傍を
通ることから香ばしい香りが漂っている。元気になったら出来たてパンを買って行って
やろう。その日が来ることが待ち遠しかった。

病室に入ると目覚めていて少し元気そうに見えた。「誕生日おめでとう、ごめんね何も
できずに・・・」そう呟いた。
「桃、食べる?」と聞くと、食べると言うので、早速買ってきた白桃の缶詰めを皿に
取りだし小さく切った。小さな一切れを口に入れてやると「美味しい・・・」と言った。
食べ物を口にしたのは5日ぶりだ。ゆっくりと3切れほど食べた。とても嬉しかった、
私にとって桃を食べてくれたことが一番の誕生日プレゼントだった。

今朝は頭痛が軽かったのでボルタレンは飲まず、リポトリールを服用した。
9:30
また、免疫グロブリン点滴が開始される。酸素飽和度は97%、正常だ。
今日はどうにか苦しくないように・・・そればかりを祈った。
11:00
やはり点滴を開始すると頭痛が酷くなってきたので、ボルタレンを飲む。
T先生が回診に来て「昨日の骨髄穿刺での検査結果で、炎症反応がみつかりませんでした、
よって脳炎などの心配はないので安心してください」そう言った。
やはり、頭痛が酷いことで脳炎の検査をしたのだ。私が脳幹脳炎の疑いを示唆したからか
どうかはわからないが、いずれにしても検査をしていただき、結果としてその疑いがない
ことがわかりとても安心した。

月末も近いことがあり、ここ数日間会社に出ていないことから、付き添いを娘と交代して
私は仕事の処理のため一旦会社へと行った。
入院してから、私は病院での日々の出来事、家内の容態、薬の時間などを記録するために
小さなノートを買って記録していた。それを娘に渡し、何かあったら書くように告げた。
<<娘の記録>>
12:10 暑い、少し気分が悪い
12:20 頭痛→マッサージで少し楽になった
12:40 寝た
13:10 頭痛、暑い・寒いを繰り返す


娘から、少し調子が悪いみたいだとの連絡があり、直ぐに病院へ戻る。
自律神経の機能低下があるのか体温調整ができないようで、急に暑くなったかと思えば、
悪寒に襲われ震えたりする。しかし見方によっては、暑い寒いを感じるということは、
回復に向かっている証なのかもしれない。

まだ起き上がることは出来ないが、すこしずつ会話も出来るようになり、体を動かすこと
も出来るようになってきたので、身体を拭いて着替えをさせた。
しかし未だに激しい頭痛が襲うため、昨日効果が高かった点鼻薬を処方してほしいと頼ん
だが何故か出してくれない。
夕方、その変わりかどうかわからないが、リボトリール錠に加えリリカカプセル75mgが
追加された。精神安定剤のようである。頭痛の緩和になるようだが・・・

毎日長時間の介護と看護をしているが、肉体的にはそれほど辛くは感じない。
しかし精神的には結構辛いものがある。痛い、苦しいと訴えている家内を目の前にしても
何もそれを和らげることはできない無力さがとても悔しい。精神的苦痛はある程度分け
合うことは出来るが、肉体的苦痛は分け合うことはできない。これだけ医療技術が発達
しているのに、何故痛みを取り除くことができないのか?なんどもそう思った。
この病気の根本的な原因はわかってはいない。そのため免疫療法がもっとも有効とされて
いるようだ。免疫力を高めることによって治癒していくためには、薬によって治療するの
とは異なり、病との正面きっての戦いをしなくてはならないのかもしれない。
そのためには苦痛は避けられないのかもしれない。

いつものように眠りにつくのを見とどけて病院を後にした。
奇しくも今日は一人じゃない誕生日。忘れられない誕生日かもしれない。

*** To Be Continued

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Author:tsutsui-s
広島県在住。
複数の会社と店舗施設を経営。自分に出来ないことはない、という自信過剰ぎみの精神力を糧に、新しいものに挑戦し続ける中年です。

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