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2012-12

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「振り返る」ということ - 2012.12.31 Mon

 「振り返る」というのは、人間だけがもつ思考作用かもしれない。
人間以外の動物は、本能的な行動は別として過去や未来を考えたり行動したりすることはないだろう。
今現在だけを考えて生きる動物たちには、過去に囚われることもなく未来を憂うこともなく生きて
いるのだろうと思う。ある意味幸せなのかもしれない。明日の食べ物の心配など必要ないのだから。

 一年を振り返るとき、ポジティブな出来事とネガティブな出来事とどちらが多く頭に思い浮かぶだろうか。
多分、ネガティブなことが多いのではないだろうか?かといって、それはネガティブ思考という訳ではない。
ネガティブな出来事は心に深く刻まれる。それは同じことが起きないための防衛本能である。
辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったことを思い起こし、同じようなことが起こらないようにと
考えることはポジティブ思考ともいえる。

 このブログを初めて1年と8カ月。誰かに伝えるわけでもなく、仲間を募るわけでもなく、見せるでも隠す
でもない、ただ気が向いた時に思いついたことを書いてきた。しかし、私の中では目的が全くなかった
わけでもない。「日々是好日」というタイトルは、ある意味自戒をこめたタイトルでもあった。
この言葉の意味は、毎日が良い一日である、といった浅い意味ではない。たとえどんな一日であろうとも
それを全て受け入れあるがままに生きていくこと、今日という日がかけがえのないものであるならば、
どんな出来事が起きようとも、そのかけがえのない時間に喜びを見出せるはずである。

 少しはそうした考え方が身についてきたようにも思う。
苦しい場面に直面しても、その出来事にはどんな意味がうるのだろうか?そこから何を学べばよいか?
そうしたことをいつも考えていた。

 この一年で一番苦しかった時期は、家内が病に伏した時だったと思う。
しかし稀な病気を患っても、なんと運が悪いのだろうかとは思わなかった。
この病が私たちに何をさせようとするのか?どんな意味を持つのか?どんな教訓を与えているのか?
そうした考えに立って、自分に出来ることを必死に考えた。
そして、喜びが分かち合えるように、苦しみも多少は分かち合えることを知った。
多くのものを得られたとしたなら、これも好日といえるのかもしれない。

 そうした考えも根付いたこともあってか、この一年を振り返る時、それほど悪くない一年だったかも
しれない、そんな風にも思えるのです。人生という時間軸でみれば、一年という長さも日々と同様
無駄なものはないのかもしれない。

 どんな瞬間、一日、一年にも、どんな出来事、痛み、出会いにも、どんな状況、天気、世界にも、
全てに意味があり、何かを得ようとすれば得られ、逃げようとすれば逃げることも出来て、
他の所為にすればそうできて、捨てようとすれば捨てることもできる。
どう受け止めようとも、きっといつかそれを「振り返る」だろう。
人は振り返る生き物だから、その時に後悔することのない生き方、一年、一日を生きねばならない。

 どんな一年だったかと自問するのは愚問で、良い一年だったと言える生き方をしたか?を問わねばならない。
新しい年も、良い一年だったと、実りある一年だったと言えるような生き方をしたいと思う。





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年賀状 - 2012.12.29 Sat

 なんとか年賀状を書き終えた。
これでも今年は早い方である。忙しい時は年を越して書くことも多かった。
会社用の年賀状で、個人的には基本的に年賀状を書かない。
個人的な付き合いが少ないことも事実だが、社交辞令的なことや年中行事的なことが、
あまり好きではない、というか我家にはそうした習慣があまりない。

 宛名は事務員さんが書いてくれるので、私は今年新たにお世話になった方を名刺や
電話帳からピックアップして書きたすだけなのだが、悩まされるのが年賀状のデザインだ。
いちよう、設計デザインもしている傍ら、市販のありきたりの年賀状ではなんとなく
許されない気がして、結局毎年干支にちなんだデザインをすることになる。
しかし、私自身グラフィックデザインそのものは苦手な分野で、イラスト系が全く書けない。
かといって、会社はデザイン関連の会社なのであまり手抜きなものも作れない。
外注すればいいんだろうけれども、なんとなくそれも気が進まない。
というわけで、結局自分の負担となってしまう。

 さらに、今年はその悩みを大きくした。来年の干支は蛇。
私は、蛇が大嫌いなのです。大抵の人はみな嫌いでしょうが、私はテレビで見るだけでも
駄目なのです。

 私は嫌いな生き物の分類方法があり、それは足の数が2、4、6、以外、というものです。
つまり、2本足の人間や鳥、4本足の動物、6本足の昆虫類、それ以外は駄目です。
足なない蛇やミミズ、足が8本のクモ、足が沢山あるムカデ、これらは見るだけでも駄目です。
蛇やミミズはなぜ足がないのか?と聞きたいし、ムカデには何故そんなに足が必要なのかと聞きたい。

 ということで、何故嫌われ者の蛇が干支になったのか?不思議でならない。
しかし、蛇年なので蛇をモチーフに年賀状を作るしかない。
想像したくもない蛇を想像しつつ、間抜けな顔した蛇のデザインでなんとか落ち着いた。
今年の年賀状はかなりデザイン性に劣り、手抜きっぽくなったが、良しとします。

 さて、あと年内に終えておかないといけないこと・・・
考えればまだまだ沢山ありそうです。頑張りましょう。

諸行無常 - 2012.12.22 Sat

 昔から我妻は子供がグラスや皿を割ったり、おもちゃを壊したりしても、決して叱らず、
「形あるものは全て壊れる、しょうがない」と潔くその物に対して諦める言葉を発してきた。

 形あるものは全て壊れる、これは物だけでなく万物全てに共通した仏教の教えでもあり、
生じたものは全て滅するという教えで、仏教用語では生滅や諸行無常と言われる。

 人は、物を得ること作ること、作物の種を植えること育てること、生き物が生まれること成長すること、
それらに喜びや生きがいを感じるものである。
しかし、それらは全ていずれ滅するものであるということ、その覚悟はなかなか出来ないものである。
だから、失う時には深い悲しみに陥るのである。

 昨日も突然訃報が入った。
何十年も付き合いのある取引業者のMさんが心筋梗塞で亡くなったとのことだった。
つい先日も一緒に仕事をしたので、突然の訃報に驚きとショックを受けた。
Mさんは私よりも若いまだ50歳という年齢である。
先日、とても元気だった我家のお向かいさんである町内会長が突然動脈瘤破裂で亡くなり、
先月末には、我施設の責任者のお父様が他界した。
思えば昨年末にも、我社の40代の社員がクモ膜下出血で倒れて亡くなり、同時期に我社の事務担当の
女性のご主人が50代の若さで亡くなった。
昨年末、そして今年も押し迫って、この世は正に諸行無常であることを思い知らされた。

 突然死は本人にとっては楽かもしれないが、周りの人は心の準備が出来ていないことから、
とても苦しい現実を受け入らざるを得ないことだろう。
諸行無常という言葉は理解できても、その教えを理解するのは容易くない。
形あるものは全て壊れ、生じたものは全て滅する、それが理解できても受け入れられない理由がある。
実は壊れないもの、滅しないものがあるからだ。
それは、記憶であり想い出である。
記憶も想い出も全て滅するというなら、何の苦痛もないだろう。
しかし私たちの記憶や想い出は、一切色あせることなく心の中に刻まれているのだ。
そして記憶が蘇る度に、悲しみに打ちひしがれるのである。
諸行無常という言葉は、凡夫にとってはある意味物理現象でしかない。
教えを請わずとも、生じたものは全て滅することは知っている。
それでも人は「永遠」という言葉を無いと分かっていても信じてやまない。
それで良いのではないかと思う。
そもそも、自分の人生という尺度を超えて、何かを持ち続けることも、思い続けることもできはしない。
だから、自分の人生の中だけでも、永遠を信じ続ければよいのではないかと思う。
失うことを前提に生きるのは、冷めた人生でしかない。
今あるもの、残されたものを信じ、大切にして生きればいいのだと思う。

若くしてこの世を去った方々へ、改めて 合掌

果報は寝て待て - 2012.12.18 Tue

 タイトルの通り、果報は寝て待つ余裕が必要だ。
全力で取り組んで物事を成し終えた後、どうしても焦ってその結果を求めてしまう。
しかし、知らぬ間に焦ることで周りも焦らせているのかもしれない。

 今年一年、少ないながら個人の不動産を処分するべく動いている。
個人の場合は12月末が年度末となり、年間の損益を通算することから、年内にある程度
不動産関連の整理をしたかった。
そうしたことから業者に年内にはなんとか販売してくれと強く要望していた。
しかし、不動産は買い手の要望や条件がうまくマッチしなくては決まらず、
場合によっては一年以上かかることもある。

 お願いしている業者さんは、とてもよく動いてくれて、熱心に販売活動をしてくれている。
それで、この数カ月の間に3度ほど「社長、売れました!」という連絡をしてきた。
それなのに全て契約間近でキャンセルになってしまった。
話を良く聞くと、この客で行けると見込んだ時点で、私に朗報をいち早く伝えたい一心で
そう連絡してきているようだった。
業者さんの意気込みはよく分かるのだが、朗報を受けて喜んだ後に、駄目だったという話は、
元に戻っただけなのに、随分とがっかりと気を落としてしまう。
私が焦らせるからいけないのだろうなと反省し、最近では私が「焦らずゆっくりやってくれ」と
逆になだめている状況だ。

朗報や果報は決まってから伝える。
これは鉄則なのだが、往々にして先走って伝えてしまう人が多い。
そして、後にそれが間違っていた場合、ショックは大きいものになる。
ようするに曖昧な朗報なら、ない方がマシなのだ。
朗報や果報は伝える側は、確信を持って伝える。
伝えられる側は、焦らず寝て待つ余裕が必要なのだろうと思う。

新しい国つくり - 2012.12.17 Mon

今朝の朝刊には大きく、民主惨敗の文字が。
3年前には、自民惨敗と見出しがあったように思うが、ここ3年で政治は大きく動いた。
個人的には、自民党が単独過半数は取って欲しかったが、2/3は取って欲しくないというところ。
安倍さんには期待しているが、国土強靭化計画一辺倒でお金を使いまくることだけはやめて欲しい。

 とにかく、まずは増税の前に経済対策だ。
景気回復は全ての問題の解決の糸口になる。そのために、デフレと円高脱却が急務だ。
選挙明けの今日、なんと為替は84円台まで回復した。
10月には78円前後であったことを考えると、大きく高騰しドル高円安となった。
マツダは海外向け自動車を為替78円をベースに価格設定して販売しているというが、
自動車や家電など大手企業は今後膨大な黒字が期待できる。
日経平均株価も9895円の寄り付きスタート。この1カ月ほどで15%ほどの高騰である。
株も為替もやめたが、未だに日々価格をチェックしている。
株や為替は将来の予測でもあり、現在の結果でもあるからだ。
そうした意味で、自民党への期待がかなり大きい結果と言えるだろう。

 日本の借金が1000兆円などと言われても、誰もが「そんな借金をした覚えはない」と思ってしまう。
税金はちゃんと納めているのに、その恩恵に授かることもなく借金が多いから更に増税すると言われても
納得のできる話ではない。まして、そのつけを次の世代に残してはならない。
 しかし、借金、つまり負債という考え方はそれだけに着目すると勘違いしやすい。
会社で言うなら、負債と資産の割合を考えるように、国全体でどれだけの資産があるのか?ということも
考えなくてはいけない。
大手企業の内部留保、国民の預金残などを考えれば、それは借金を埋め合わすだけの資産があるとも
言われている。ようするに、お金の流動性が悪いために、不健康な状態であるということだ。
将来に不安があるから、企業や国民はお金を貯め込み使いたがらない。
その不安が取り除かれれば、お金の流動性が良くなり経済も活性化されることは間違いない。
お金は人間でいえば血液同然、流れが悪くなれば必ず病気になってしまう。

 とはいっても、使うお金がなければどうするのか?多くの中小零細企業は債務超過に陥っているから
設備投資をしたくても出来ないのが現状だ。国民においても同様で、多くの若者は預金がない。
お金を使わずに貯め込んでいるのは、大手企業と高齢者という構図が出来上がっている。
そうした滞ったお金を動かすには、将来に対する安定を抱けるマインドが必要だろう。
景気が良くなる、という見通しだけでいい。

 我々のサービス業というのは、円高だから海外進出というわけにはいかない。
その地に根付いて仕事をしなくてはならない。
国民の気持ちに余裕が出来なくては、サービス業の存在価値も意味もない。
安倍さんには、国民が未来を憂うことのない国造りをして欲しいものだ。

年の瀬に思うこと - 2012.12.16 Sun

澄んだ空に浮かぶ雲は、この時期は陽射しが弱いためかどことなくどす黒い。
街路樹は丸坊主にされ、山の木も落葉を終えてその姿を小さくして冬支度をしている。

 町では、お歳暮の配達にせわしい宅配のお兄さん、コートの襟を立て家路を急ぐお父さん、
年内引渡しに追われる建築現場の職人さん、忘年会で一年分の愚痴を吐露するサラリーマン、
この時期は、どことなく気ぜわしい、そして何故か物哀しい。
 
 そういえば、ここ最近クリスマスのネオンの飾り付けをする家が少なくなったように思う。
我家においても昔は庭の木にネオンをつけていたが、ここ数年は何もしていない。
年々季節感がなくなってくるのは、心にそれを楽しむ余裕がなくなったからだろうか?

 昔は年の瀬は、なんとなく緊張感が漂い少しウキウキもしたものだ。
新しい年に向けて、目標や希望を色々と描いていたように思う。
しかし、近年はものの考え方が大きく変わってきたように思う。
新たな目標を掲げるよりも、問題解決を考えることが多い。
棚上げされてきた問題を来年こそは少しでも整理しよう・・・といった考え方だ。
これはマイナス思考なのだろうか?ネガティブ思考なのだろうか?

 理想というのはどこか別の場所にあるものではなくて、時にはここにあるものかも知れない。
問題を解決し、無駄を省き、空想をやめた時、そこに理想の姿が現れるかもしれない。
そう思うのは歳の所為かもしれない。
より高い頂に立ちたいという願望もなくはないが、低くとも緑溢れる草原が眩しく見えることもある。

 こんな時代であっても、動けば幾らでも新しい仕事を生み出す自信はある。
しかしその度に、神経をすり減らし、時間を浪費し、自分を見失いそうなくらい精力を傾けるのは、
疲れる気がしてしまう。
確かに、それを成し遂げる喜びや達成感は大きい。
しかし、何か違う気がする・・・決して弱気ではなく、前向きに考えても違う気がする。
今あるものを大切にすることや、汚れを払い磨くこと、それらの方が大切に思える。
何処に幸せがあるのか?を問うのではなくて、何に幸せを求めるか?を自らに問うのです。 

思いやりと思いあがり - 2012.12.09 Sun

 昨日、土曜日ではあったが二人の人物に会って長時間会話をした。
お昼に面会した人とは約3時間、夜面会した人は約2時間話した。
共にタイプの違う人物であり、プライベートよれも仕事上での繋がりが強く私がお世話になっている側である。
昼に来社した方は、仕事柄顔が広く人脈もそれなりに多い方だが、私にだけ話す、と前置きして現状の
問題について話しだした。
夜面会した人は、気が強く男気のある人物であるが、随分と弱音を口にした。

 私は基本的に、相手の話には共感するタイプである。
それが自分の考えと異なっていても、その人の考え方として受け入れて話す方である。
しかし、昨日はいずれも敢えて私が感じることを意見した。
「敢えて苦言を呈するが、客観的な意見として聞いてほしい」そう前置きして異見を唱えた。
一瞬、顔色が変わり、少し拒否する態度が見て取れたが、話していくうちに私の意見を理解していただき、
「仰る通りです、そうしたことを言ってくれる人は今まで居ませんでした、ありがとうございます」
という言葉が返ってきた。

 私は、話上手でも聞き上手でもないが、従業員以外の人と話す時には基本的に相手の考えを尊重するよう
心がけてきていたので、討論することや対立することは殆んどなかった。
対立を避けるということは、ある意味、相手に対して関心がないから、ともいえるのかもしれない。
しかし最近は、感じることを正直に伝えてあげることが大切、と思うようになってきた。
場合によっては上から目線的になるので、話し方はとても難しい。
相手が悩んだり困っている時に、「そうですね」「大変ですね」と相槌を打ちつつ共感することは、
子供や未成熟な人に対しては良いかもしれないが、大人に対しては無関心でしかない。
ちゃんと異見を述べることが「思いやり」というものではないだろうか。

 先週末には若い青年が、ネット上で私をみつけて相談に訪れた。
以前コンサルの仕事をさせていただいた某自治体の職員さんは、未だに色々な相談をしてくる。
「どうして私に?」と聞き返すと上長より「筒井さんに相談するよう指示があった」という。
先週も私より年配の知人が久しぶりに来社し「今後の事業について相談に乗ってほしい」と言ってきた。
色々話しているうちに「筒井さんが読んでいる本を貸してほしい」と言われ、あまり本を読まない私は
恥ずかしながら、書棚から一冊の本を取って渡した。そして一昨日、全部読みましたといって返してくれた。

 最近「相談を受ける」ということが多くなったのは、歳のせいでもあるだろうが、
先にも述べた通り、私が私見をちゃんと述べるようになったからではないか?とも思っています。
利害を排除して人として会話をすること、そうすると人は近づいてくるということを実感した。
ただ気をつけなくてはならないことがある、相談役として話を聞く時つい上から目線になってしまいがち。
それでは、思いやりではなく思いあがりになってしまう。
それを肝に命じつつ、色々な方と面会したいと思っています。
 
 コミュニケーションは難しい、苦手、と私自身思っていましたが、上手下手ではなく要点さえつかめば
誰にでもスムーズなコミュニケーションが可能になると気付きました。
その要点とはたった二つ。
相手の意見、考えを理解し尊重すること。
自分の意見、考えを明確にし伝えること。
ようするに、「7つの習慣」で言えば、第5の週間「理解してから理解される」ということである。
先走って自己主張をすると対立が起きてしまうのだ。

人生は儚い・・? - 2012.12.07 Fri

 人の夢と書いて「儚い」と読ませるのはなんとも皮肉っぽい言葉だ。

 昨晩、私が住んでいる町の町内会長が亡くなった。
一人で部屋にいて突然の動脈瘤破裂を起こしたらしく、奥さんが発見した時には
既に息絶えていたらしい。
昨日の朝、私は町内会長が元気に歩いている姿を見かけた。
一昨日の朝には、家の前で見かけたので挨拶をして私は家を出た。

 元気だった人が突然亡くなると「人生は儚い」と思ってしまう。
町内会長は来春で会長職が10年になるので、10周年を機に引退するのが目標だったらしい。
世話好きで陰日向なく町民のために動いていた。
10周年という、ただ待っているだけで訪れる目標さえ達成できなかった。
そのことを考えても、なんとも「儚い」と思ってしまった。

 やはり人の夢とは儚いものか・・と思って「儚い」という語源について調べてみた。
すると、少しこの言葉を誤解していることに気がついた。
寝ている時に見る「夢」は全て、目覚めと共に消えてしまう。
つまり、人が見る夢のように目覚めによって一瞬にして消えてしまうようなことを「儚い」ということらしい。
人の夢が儚い、というのとは大きな違いがあるようだ。

 しかし、人生が長い夢の中、と考えると、あの世が私たちのもとの世界といえ、死は目覚めの瞬間である。
と、すればやはり「人生は儚い」といえるのかもしれない。

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tsutsui-s

Author:tsutsui-s
広島県在住。
複数の会社と店舗施設を経営。自分に出来ないことはない、という自信過剰ぎみの精神力を糧に、新しいものに挑戦し続ける中年です。

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