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2012-06

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質の良い睡眠 - 2012.06.30 Sat

今日はなんだか体調が悪い。
この時期になるとある悩みがある。それは睡眠障害。
まあ、障害というほどのものではないのだが、兎に角熟睡ができないのです。

睡眠というのは眠りはじめからおおむね1時間半周期でレム睡眠に入るといわれます。
つまり身体は眠っていても脳が覚醒している状態のようで、この時に夢を見たりするようです。
この最初の1時間半が問題なのです。
睡眠に入ると体温が上がり暑く感じます。更に夏場に入ると深夜でも気温が高く、
おまけに我が家の家の構造上、2階部分は1階に比べてかなり室温が高くなります。
そうしたことで、最初のレム睡眠の時間帯に必ずといっていいほど目を覚まします。
身体が暑く、のどが渇き、苦しくて目が覚めます。
そして1階に降りて冷たいものを飲むか食べるかします。
その時、頭はもうろうとし、歩くのもやっとの状態、2階へ上がる元気もなく1階のリビングの
ソファに横たわって眠ってしまう。

殆んど毎日そんな状態が続きます。
エアコンをつけて寝ると朝体調が悪く、身体が冷えすぎることもある。
今年はエアコンを買い換えたので少しは性能も上がって過ごしやすいかもしれないが、
家内もエアコンが苦手なことから、睡眠の際には極力使用しないようにしている。

そうした中途半端な睡眠後の朝は目覚めも悪く身体がだるい。
更にもう一つ問題があって、深夜起きて水を飲んだり、何かを食べたりしている行為を無意識の
うちにやってしまうことだ。リビングのソファで目覚めて、なぜそこで寝ているのか全く記憶に
ないことが多い。睡眠薬を飲んで寝ることも、記憶がない理由の一つかもしれない。
無意識の行動だから、意識して止めようと思ってもなかなかできない。
睡眠の環境を整えるしか方法はないようだ。

最近よく健康のために質の良い睡眠をとること、というのを耳にする。
以前は睡眠時間が重要視されていたが、最近は質を重要視するようだ。
例え短時間でも疲労回復につながる深い睡眠ができれば身体にはいいのだろう。
私にとっての夏バテの最大の理由は、質の悪い睡眠の所為だということは間違いないようだ。
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【苦闘の1カ月】 (9) 回復の兆し - 2012.06.28 Thu

【6日目】2月29日(水曜日)

今年は4年ぶりのうるう年である。うるう年は4年ごとにやってくるので、4年ぶりという
言いかたはおかしいのかもしれないが、実は4年目であってもうるう年のない年がある。
それは地球の公転が365日プラス0.2422日ということで僅かに1/4日に満たないため
約100年に一度それを修正するためうるう年を飛ばさなくてはならない。
その、次のうるう年のないうるう年?というのは2100年ということになり、当然私は
この世にはいない。

そんなことはどうでも良い。兎に角今年は1日多い。そのことが得になるのか損になるのかは
わからないが、2月29日に何をしていたか?記憶にとどめるには覚えやすい日にちではある。

車が少し混んでいたことと、昨日桃を食べたことで少し安心したこともあって少しゆっくり
出発したため、病院へ到着したのは7:40分だった。
いつものように、保安室の横の出入り口より入り、いつものように中央病棟へと向かう。
広い通路を通って、中央あたりで右の通路へ入るのだが、今日は右に入らず直進して歩いた。
その通路の曲がり角に売店があり、売店内でパンを焼いているのでその香ばしい香りが
この時間にはこのあたりいっぱいに漂っているのである。
病院内といえば、薬品や消毒液の臭いがどこからともなくしてきて、それだけでも気持ちが
沈んでしまうが、ここだけは違っていた。

昨日、桃缶を数切れ食べたので、きっと今日はパンも食べられるだろう・・・そう思って、
いつも曲がる角を直進して売店へと向かったのです。
パンコーナーにはいくつもの種類の焼き立てパンが並んでいました。
「焼き立て」のポップがついているものを全て買って急ぎ足で病室へと向かいました。

「おはよう」病室に入り声をかける。かぼそく「おはよう」と返してくる。
元気がなさそうだ。「調子悪いの?」と尋ねると、頭が痛いという(頭痛レベル3)
深夜はかなり酷く苦しかったらしい。深夜3時にレベル5だったようだ。
ここでよくレベル3とか5とかの数値を出しているが、この数値はいわゆる医学的な数値レベル
ではなく、苦しさ、痛さを1から5までの5段階として患者が医師や看護師に伝える際の目安として
使われるもので、ようするにレベル5は我慢できないほどの痛さ、苦しさということである。
深夜にボルタレンを飲み、早朝にリボトリールとリリカを服用したようだ。
そうしたこともあり、あまり眠れなかったようで少しぐったりとしている。

少し眠るように伝え、私も椅子に座って目を瞑り少し休んだ。
午前9時、免疫グロブリン点滴の準備で看護師が病室に入ってきた。
もう5日目というのに、なんで効かないの?
100万円以上する高額な薬(保険適用される)というのに、なんで効かないの?
悔しさと無力さで気分が落ち込んだ。

いつもは点滴治療を始めると、更に頭痛や嘔吐が酷くなるが今日は少し調子がいいようだ。
昨日食べた桃缶が美味しかったとのことで今日も食べたいという。
小皿にとりだし、小さくナイフでカットして食べさせると約1/2個を食べた。
食欲が出るということは回復の証、とにかく何でもいい、少しでも沢山食べてほしい。

10:30、娘と看護を交代した。
昨日、殆んど仕事ができなかったため、なんとか月末の用事だけでもかたづけるため会社へ戻った。
娘のメモは以下の通りだった。
10:37 どうしてもと言って××さんへTEL
11:20 寝た
12:00 おしっこいっぱい 頭痛レベル4
12:20 違う点滴(ビーフリード)
12:25 ボルタレン、ムコスタ
娘のメモは内容は簡単だが、記録が細かい。
私は大まかに薬名や頭痛のレベル程度の記録しかしていない。
気遣いができて優しい娘だと思う。
以前も家内が入院した際にもべったり付き添いをしていた。
しかし私がこう娘に質問すると・・・
「もし父さんが将来車椅子になったら、車いす押してくれる?」と尋ねたら
「う~ん・・・お金次第じゃね」と(汗
「じゃあ、介護費を奮発したら介護してくれる?」と聞き返すと、
「うん、ええよ。沢山お金出してくれたら、それで介護師さん雇うから」と(笑
まぁ、照れくさいからそう言っているだろうと思うし、私自身も将来介護が必要な身体となっても、
子供の世話になろうとは考えていない。
子供たちには自分の生活を考え、自分の生活を大切にしてほしいと思うから。
しかし、伴侶となるとなかなかそうはいかない。
どちらかが病気になれば、互いに助け合わねばならないだろう。

仕事を終えて病院へ戻ると、顔色は少しよさそうだった。
しかし相変わらず頭痛はレベル3程度。
15:40 やっと今日の免疫グロブリン投与終了 
18:00 血圧、上109下が64と少し低め
19:00頃、少しお腹がすいたとういう。ここで朝買っておいたパンを一口食べた。ほんとに一口
だけだったが、桃缶以外の最初の食べ物だ。
20時頃、頭痛レベルは?と聞くと、指を一本だして、その後5本指を広げて見せた。
レベル5?!と聞き返すと首を振り、また指を1本出してその後5本出した
レベル1.5?と聞くと頷いた。細かいねぇ1か2にしてよ、と言うと笑っていた。
21時過ぎに、パンを1/2食べた。入院以来、6日目最大の食事量だ。
昨日今日と日をおって良くなっていることを実感した。
いつものように22時前、いつもより軽い足取りで病室を後にした。

*** To Be Continued

言葉の力 - 2012.06.25 Mon

毎週金曜日の夜11:15分になると必ず見るテレビがある。
アメリカの人気テレビドラマだった「デスパレートな妻たち」の再放送だ。
この「デスパレート」というタイトルの言葉の意味は、
崖っぷちの、絶望的なという意味であるが、ドラマを見ているとどちらかというと
天真爛漫な妻たちの日常生活が描かれており、確かに度々悲劇が襲ってくるが、
それらはドラマならではのストーリーに過ぎず非日常的な出来事が殆んどである。
その悲劇を次々と乗り越えていく様が、楽しくもあり勇気づけられることがある。

基本的にテレビが好きではない私が何故こんなドラマを見るのか?
その理由の一つに、ドラマの最初と最後に流れるナレーションの内容にある。
ナレーションであるから当然ストーリーに沿った内容なのだが、この言葉には
生臭い人間の心理や真実をうまく表現されている。
勇気づけられる言葉はむしろ少ないかもしれないが、否定的あるいは誰もが持っている
心の裏の部分をストレートに表現することで、自分だけではない、人はみなそうなんだ、
という妙な安心感があったりして勇気付けられることもあるから不思議だ。

勇気付ける言葉というのは、頑張れ!君ならできる!立派な人間になれ!正義を貫け!と
いったたぐいのプラスの言葉ばかりが勇気を与えるわけではない。
頑張れないときもある、できないときもある、非道な道を歩くこともある、そうした
マイナスのメッセージも時には人を勇気付ける。
デスパレートな妻たちでは、正に崖っぷち、絶望的な状態からどう立ち直るかであるため、
ナレーションにおいても、人は道徳的で正義を貫くという前提ではなく、人はもともと
間違いを犯す生き物としての心の内を表している。
それゆえ、心に響く言葉が多いのです。

こんなサイトを見つけました。
http://desperate.beauty-concierge.com/

古いものが多いですが、いくつかナレーションの内容がアップされています。
そのなかからエンドナレーションのいくつかを紹介します。

例えば、
 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
 闇に覆われた世界では誰もが光を求める。
 それは失ったものを取り戻す手段を示す炎だったり、
 悪を寄せ付けないためにまぶしく輝くライトだったり、
 あるいは、隠されていた過去の真実を照らし出すいくつかの電球だったりする。
 夜の闇を助けなしで切り抜けるのは難しい。
 微かな薄明かりでも一縷の望みとなるのだ。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
例えば、その2
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
イメージの世界に身を委ねることは誰にでもある。
その方法は人によって様々だ。
仕事と家庭を両立できているイメージを作ろうとするもの。
過去の恋愛関係に実際よりも大きな意味をもたせようとするもの。
自分達が抱えている秘密はそれ程大変なことではないと思い込もうとするもの。
イメージの世界のルールは簡単だ。
まず自分で嘘を信じ込む。
その嘘を他人に信じ込ませることができたら、勝者となる。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
例えば、その3
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
そう、人生は旅だ。
その行程には道連れがいるにこしたことはないし、
もちろんどんな人だって道連れとなり得る。
お向かいに住んでいる隣人や、 ベッドの隣にいる男や、
子を思う善意のかたまりの母親かもしれないし、
悪意に満ちた子供ということも。
だが、どんなに心がけをよくしても途中で道連れを失うものが必ずいる。
そこからの旅はまるで苦行だ。
人間は幅広い適応力を備えているが、
孤独に対しては例外のようだ。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

などなど、適当にピックアップしてみましたが、どれも「そうだよなぁ~」と思わせる言葉ばかりです。
美辞麗句を好み綺麗事ばかりに向き合っても人は生きてはいけない。

崖っぷちで、人は次にどういう行動をすればいいと考えるだろうか?
飛び降りるか、後戻りするか、降りるためのロープを探すのか、神に祈るか、命乞いをするのか・・
正しいことをしていれば、罪を犯さなければ、不幸など訪れないと考えるのは正しくない。
どんな善人も罪を犯すことがある。だから崖っぷちに立たされることがある。
真実に向き合い、表も裏も見て、善悪を共に受け入れることのできる心を持つ人は、崖っぷちに
立たされた時、どうすればよいかの選択肢を多く持っているような気がするのです。

人は、何かを想像したり、思慮する際に「言葉」というものに置き換えている。
つまり言葉が自分の人格を形成し、行動を決定しているといっても過言ではない。
どんな言葉を取り込んでいくか?それは未来へ向かっての生き方を大きく左右するものだと思う。
言葉には物理的な力は何もないけれども、人生そのものを変えてしまうような大きな力を持っている。

【苦闘の1カ月】 (8) 誕生日 - 2012.06.24 Sun

家に戻り、またネットで病気について調べる。
フィッシャー症候群というのはごく稀な病気であることから、なかなか多くの情報が
集められない。医学的な情報ではなく、看病している家族の立場からすれば体験者の
生の声が聞きたいものである。ところがそうした情報がとても少ない。
人によって症状の出方もかなり異なるようで、軽度の人は気付かないうちに完治する
こともあるようだ。また、一般の病院では症例が殆どないことから見過ごされるケース
も多いようで、症状が悪化してから精密検査して病名が決定することもあるようだ。
そうした意味では、今回とても幸運だったと思う。各病院の先生の的確な判断により
当日入院し翌日から免疫治療が開始された。このスピードの速さは稀なケースだろうと
思われる。それぞれの病院の先生方に感謝の気持ちでいっぱいになった。

【5日目】2月28日(火曜日)
ネットで情報収集したあと、入浴して床についた。既に今日も深夜1時を回っている。
もう既に日付が変わっている・・・・あっ、今日は私の誕生日だ!ベッドの中で一人
迎える誕生日。しかし、そのことはあまり寂しさも感じない。
誕生日は何故か一人のことが多い記憶がある。もちろん今は子供たちがプレゼントを
買って祝ってくれることが多いのだが、昔から家内が居ないことが多い気がする。
初めて家内に出会った年も一人だったし、確かその翌年も一人だった。結婚後も何かと
予定があったり出張だったりして一人のことが多かった気がする。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

記憶を更に遡ると、やはり誕生日は一人のことが多かった気がする。島育ちの私にとって
友達の存在はある意味兄弟のようなものだった。幼稚園から高校生まで殆ど同じ顔ぶれで
過ごすある意味特殊な環境がそう思わせるのかもしれない。だから誕生日ともなれば、家
に集まり騒いで遊ぶのが慣習になっていた。幼少期、私もそうしていた記憶がある。
しかし、中学生にもなると照れくささもあり誕生会を開くのは一部の人たちになってくる。

私の友人は男女とも何故か2月生まれが多かった。そして・・初恋のKさんも2月生まれ
でKさんの友達でもあり私の友達でもあるMさんも2月生まれだった。だから2月は誕生
会が多い。初恋っていっても単なる方想いである。Kさんからは私のことは疎まれていた。
だからKさんとは一度も話をしたこともなく、ただ遠くから眺めているだけだった。
そんな中学2年生の2月、Mさんから誕生会の誘いがあった。私がKさんと話をする機会
が出来ればとの思いからである。誕生会には男女十数名が集まった。もちろんKさんも
その中の一人だ。しかし、内向的で寡黙な少年(私)は話しをすることすら、傍に行くこと
すらできない。どことなくKさんも私を避けているように思えた。
そんな様子を見てMさんは私に「S君(私)も今年は誕生会したら?私がKさん連れて
行くから」と言ってきた。

私が主役なら話しが出来るかもしれない・・・そんなことを考えながら、数日後母に、
「今年は誕生会する」とぼそっと呟いた。母は「ええねぇ、準備ちゃんとするから」と
言った。しかし日が押し迫ってくると私は迷った。そんなある日Mさんが「誕生日会
どうするん?」と聞いてきた。私は「せん」と一言答えた。
そして迎えた一人の誕生日、もちろん家族は居るのだが私は一人部屋に籠ってベッドに
寝転がり天井を見つめていた。そう今と同じように・・・
これでいいんだ、誘って断られる辛さに比べれば、一人でこうして天井を見つめている
辛さは比べるに値しない。そう思った。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

そんな記憶の旅をしている間に眠ってしまった。
5時半、目覚ましの音に驚いて目が覚める。いつも思う、もう少し驚かさずに起こしてく
れる目覚ましはないのか?と。目覚ましはきっと体に、特に心臓に悪いだろうなと思う。
いつもように目覚めのコーヒーを飲むが、早朝のコーヒーはとても美味しいといつも思う。
今日は少しでも家内の容態が改善していて欲しい。毎日そう願いながら病院へと車を走ら
せる。

早朝の病院は人気がなく静かだ。通常の玄関口はクローズされているので、警備員室横の
通用口から入る。早朝から開いている売店では毎日パンを焼いていて、ちょうどその傍を
通ることから香ばしい香りが漂っている。元気になったら出来たてパンを買って行って
やろう。その日が来ることが待ち遠しかった。

病室に入ると目覚めていて少し元気そうに見えた。「誕生日おめでとう、ごめんね何も
できずに・・・」そう呟いた。
「桃、食べる?」と聞くと、食べると言うので、早速買ってきた白桃の缶詰めを皿に
取りだし小さく切った。小さな一切れを口に入れてやると「美味しい・・・」と言った。
食べ物を口にしたのは5日ぶりだ。ゆっくりと3切れほど食べた。とても嬉しかった、
私にとって桃を食べてくれたことが一番の誕生日プレゼントだった。

今朝は頭痛が軽かったのでボルタレンは飲まず、リポトリールを服用した。
9:30
また、免疫グロブリン点滴が開始される。酸素飽和度は97%、正常だ。
今日はどうにか苦しくないように・・・そればかりを祈った。
11:00
やはり点滴を開始すると頭痛が酷くなってきたので、ボルタレンを飲む。
T先生が回診に来て「昨日の骨髄穿刺での検査結果で、炎症反応がみつかりませんでした、
よって脳炎などの心配はないので安心してください」そう言った。
やはり、頭痛が酷いことで脳炎の検査をしたのだ。私が脳幹脳炎の疑いを示唆したからか
どうかはわからないが、いずれにしても検査をしていただき、結果としてその疑いがない
ことがわかりとても安心した。

月末も近いことがあり、ここ数日間会社に出ていないことから、付き添いを娘と交代して
私は仕事の処理のため一旦会社へと行った。
入院してから、私は病院での日々の出来事、家内の容態、薬の時間などを記録するために
小さなノートを買って記録していた。それを娘に渡し、何かあったら書くように告げた。
<<娘の記録>>
12:10 暑い、少し気分が悪い
12:20 頭痛→マッサージで少し楽になった
12:40 寝た
13:10 頭痛、暑い・寒いを繰り返す


娘から、少し調子が悪いみたいだとの連絡があり、直ぐに病院へ戻る。
自律神経の機能低下があるのか体温調整ができないようで、急に暑くなったかと思えば、
悪寒に襲われ震えたりする。しかし見方によっては、暑い寒いを感じるということは、
回復に向かっている証なのかもしれない。

まだ起き上がることは出来ないが、すこしずつ会話も出来るようになり、体を動かすこと
も出来るようになってきたので、身体を拭いて着替えをさせた。
しかし未だに激しい頭痛が襲うため、昨日効果が高かった点鼻薬を処方してほしいと頼ん
だが何故か出してくれない。
夕方、その変わりかどうかわからないが、リボトリール錠に加えリリカカプセル75mgが
追加された。精神安定剤のようである。頭痛の緩和になるようだが・・・

毎日長時間の介護と看護をしているが、肉体的にはそれほど辛くは感じない。
しかし精神的には結構辛いものがある。痛い、苦しいと訴えている家内を目の前にしても
何もそれを和らげることはできない無力さがとても悔しい。精神的苦痛はある程度分け
合うことは出来るが、肉体的苦痛は分け合うことはできない。これだけ医療技術が発達
しているのに、何故痛みを取り除くことができないのか?なんどもそう思った。
この病気の根本的な原因はわかってはいない。そのため免疫療法がもっとも有効とされて
いるようだ。免疫力を高めることによって治癒していくためには、薬によって治療するの
とは異なり、病との正面きっての戦いをしなくてはならないのかもしれない。
そのためには苦痛は避けられないのかもしれない。

いつものように眠りにつくのを見とどけて病院を後にした。
奇しくも今日は一人じゃない誕生日。忘れられない誕生日かもしれない。

*** To Be Continued

【苦闘の1カ月】 (7) ~桃が食べたい - 2012.06.23 Sat

【4日目】2月27日(月曜日)

朝目覚ましを5時半に仕掛けたものの、5時には目が覚めた。
仕事柄、夜が遅いことも多く寝る時間はどうしても深夜になる習慣がついてしまっている。
よって、朝は少し遅めの起床なため、5時起きはかなりきついものがある。
しかし、朝一番に病院に入るためには6時半には家を出なくてはならない。
通常は面会できない早朝だが、警備員さんや看護師さんにも顔を覚えられたのか、
朝7時には病院内へおとがめなしに入れるようになった。

病室に入ると暗幕のカーテンが引かれていて真っ暗だった。
声を掛けるとうなずくものの何か苦しそうである。
容態は昨日よりも悪そうに感じた。
目を開けることもできないし、当然歩行はできないし、起き上がることさえできない。
運動神経がさらに麻痺しているのか?
免疫グロブリン投与も今日で4日目というのに、なぜ日に日に容態が悪くなるのか?
そのことが不安であると同時に、無力な自分がとても悔しかった。

7:30
激しい嘔吐にみまわれナースコールをする。
直ぐに吐き気止めの注射をしてもらった。
丸3日間、少量の水以外ほぼ何も口にしていないのに何故嘔吐が続くのか?
頭痛もレベル5であることからボルタレンを服用した。

9:00 
またまた激しい嘔吐に苦しむ。
胃の中にはなにもないはずなのに、胃液が50cc絞り出されるように出た。

9:40
本日の免疫グロブリン投与開始する。
この点滴は約10時間かかる、しかも点滴が始まると頭痛も酷くなるようだ。
なんとか今日も乗り切ってほしい・・・そんな思いが募る

11:00
予測した通り、点滴開始から頭痛がひどくなってきた。
ボルタレンを飲んで時間があまり経過していないため鎮痛剤は飲めない。
何か対策はないのか?を看護師さんを通じて先生に聞いてもらうことにした。
効果があるかどうかは分からないけれども、ということで鎮痛用の点鼻薬を頂いた。
これがかなり効果的で頭痛レベルが一気に2まで下がった。

15:30
T先生が回診に来られた。いつものように目の検査、手足の運動神経の検査を行う。
T先生にも容体が悪化していることはわかっているようだった。
しかし、当初は免疫グロブリン大量投与を開始すると、次第に回復してくると言っていたはず。

T先生は念のために骨髄を検査してみますと言い、直ぐに穿刺を行う準備にかかった。
私は病室から出された。
 昨日、頭痛がひどいからビッカースタッフ脳幹脳炎の可能性はないのか?
 との質問を浴びせたことでひょっとしたら先生もその可能性を考えたのかもしれない。
 いや、素人の私の意見などに左右されることはないだろう・・・
病室の外でそんなことを思いつつ待っていた

殆んど目が開けられないため、日中もカーテンをして部屋を暗くしておいた。
その方が落ち着くようだった。
私は家内の身の回りの世話を一日中していた。
寝たきりなので背中や腰が痛くなるためマッサージをしたり、身体を拭いたり、歯磨きをしたり、
着替えをさせたり、トイレをさせたり・・・と、傍にいれば一日中やることがあった。
看護と介護というのは、そんなに容易くないことを身をもって知った。
しかし、それらが全く苦にならずできることが少し意外でもあった。

18:00
吐き気止めの点滴をする。
肉体的、精神的に苦しい状態であることから、本日よりリボトリール錠(精神安定剤?)が処方された。
この薬が意外と効果があるのか、夜は少し楽になったようだった。
21:00
ボルタレンと胃薬を服用する。
22:00
マイスリー10mg(睡眠薬)を服用する。
一日中、点滴と薬の服用が続くが、それのおかげで生きていられるのだろうと痛感する。
なぜなら、この4日間何も食べていないし、僅かな水分を採っているだけだ。
普通なら生きてはいられない。
食欲というのは、生きる上での最低限の基本原則である。

今まで、何も口にしたがらない家内に私は何度も「何か食べたいものは?」と問い続けてきた。
そして今日も、眠りにつくまえに「何か食べたいものは?」と聞くと
寝言のように「白桃の缶詰めが食べたい」そう言った。
とても嬉しかった。入院して4日目、初めて「食べたい」という言葉を口にした。
睡眠薬が効いたようで家内は眠りについた。
私は、そっと病室を出て、ナースステーションによって挨拶をして病院を後にした。

私はその足で24時間営業のスーパーへと向かった。
白桃の缶詰め・・・どれが美味しいかわからないが、高いものから2種類を買い、その他白桃のゼリーや
白桃入りのデザートなど買いあさった。

*** To Be Continued



蛍に出会う - 2012.06.18 Mon

昨日のブログで川が綺麗になったという報告をした。
そして、その川の上流に蛍がいるとの情報も書いた。

そこで早速昨晩蛍探しに行ってみました。
場所は我が家から車で5分程度のところにある水分峡(みくまり峡)
娘と孫娘が同行での蛍探しである。
なぜなら、夜間一人で山間部へ入るのはとても怖いのである(苦笑
更に、この場所へ行くには霊園を通らなくてはならず、とても一人で行ける場所ではない。

まだ明るい午後7時過ぎに現地入口の駐車場に着いた。
駐車場からは川沿いの道を歩いて上流を目指さなくてはならない。
数分歩いたところに小さな神社があり、木々がうっそうと茂り少し怖い雰囲気である。
約10分ほど歩くと、小さな石垣でできたダムのようなものがあり、公園になっている。
このあたりがポイントだろうと思われ、近くにあったベンチ椅子にて夜を待つことに。

そうこうしていると、日曜日ということもあり家族連れや老夫婦や若者のグループがどんどんと
蛍見物にやってきた。おかげで怖さはすっかりとなくなった。
やはり、蛍がいるのは本当らしい。
近くにいた老夫婦の話では、5~6年前にここで蛍が発見され話題になったらしい。
しかし、飼育をしているわけではなく、自然に発生しているということで、
今年は見れるのかどうかはわからない、との話だった。

午後8時前、日没と同時に一気に辺りが暗くなり、期待が高まった。
娘が「あっ何か光った」そう言うのでその方向を見ると、小さな光が見えた。
蛍だ!
近くに移動し、その光ったあたりを一生懸命見ていたら、色々な場所で光り始めた。

ホタル20120617c
最初のうち、蛍はじっと木に止まって光っていた。
小さな光の点なので、なかなか写真に撮っても存在間がない。
写真では画像処理で背景を意図的に少し明るくしていますが、実際には暗闇の中で小さな点が光っている
だけです。

暫く待っていたら、動きが活発な蛍が出てきて、辺りを飛び回りました。

ホタル20120617a(小)
なぜか、今年は蛍が見たいとずっと思っていました。
蛍を見た記憶は幼少期までさかのぼります。確か小学生のころだったか、近くの池で見た記憶しかありません。
何処へ行けば見れるだろうか?とネットで調べましたが、なかなか近場では見られる場所もないようでした。
ところが、ご近所の方から水分峡にいるという情報を聞き、まさか・・・と思っていましたが、
本当に沢山の蛍が生息していました。

蛍は成虫になっての寿命はわずか1週間ほどといわれます。
儚い命と思うのは、人間の利己的な思いでしょう。
蛍は命が短いなんて思っていません。
次の世代を残すために、光を放ってパートナーを探すべく求愛をしているのです。

蛍には明日はないかもしれない、だから必死に光っているのでしょう。
つい不平不満で時間を浪費してしまう私たちとは違うのです。

【苦闘の1カ月】 (6) - 2012.06.18 Mon

【3日目】2月26日(日曜日)

目覚ましを朝6時にセットして床についてのは深夜1時半。
7時間以上寝なくては疲れの取れない私にとってはとても短い睡眠時間である。
しかし、早朝5時に夢にうなされて目が覚めた。
夢の内容は、仕事上の現場にて水道管が破裂して漏れ出す夢だ。どんな対策を取っても、
次から次へと水漏れが進んで手がつけられなくなり、その水漏れしている配管を直接手で
押さえて止めようとしている夢である。

目覚めて、とても嫌な想像が頭をよぎった。
家内が頭痛を訴えていたことから、水道管破裂の夢が脳内出血へと想像を膨らませてしまったのだ。
不安になり、直ぐに病院へ向かおうかと思ったが、こんな早朝に面会で入れてくれることもないだろうし、
もし何か不測の事態が起きたとしたなら電話があるはずだ、そう思って取りあえずコーヒーを飲んで
目を覚ますことにした。
6時半に家を出発して7時過ぎに病院へと到着した。通常は面会時間は午後からではあるが、
外来は8時から受付なので外来に紛れて病院へ入った。
病室に入ると、家内は昨日よりも更にしんどそうな様子である。
部屋は暗幕がひかれているので真っ暗の状態だった。
少しだけカーテンを開けると即座に「眩しい」と家内は言った。
朝食代わりにプリンなどを勧めるが全く受け付けず、点滴だけが命の絆のようなものだった。
私は昨日と同じく、ただ黙って存在を感じさせないように傍らに座って見守った。
激しい頭痛で苦しいらしく、話すことすら苦痛を感じるようで、ただ目を閉じてじっと耐えているだけである。

病院に居ながら何故日々容体が悪化していくのか?先進医療、先端医療を尽くしてもたかが頭痛さえ
抑えられないのか?悔しくてならなかった。私はネットで頭痛を和らげるマッサージのツボを検索して、
そのツボをマッサージした。ロキソニンが効かないのにマッサージが効くとは思えないが、それでも
わずかでも楽になればとマッサージを続けた。
ずっと同じ姿勢で寝ていることから背中や腰も痛いとのことだったので、背中と腰もマッサージをした。
すると、「気持ちいい」と初めてプラスの言葉を口にした。午後、頭痛が治まらないことから鎮痛剤を
ロキソニンからボルタレンに変更したが、やはり殆ど効果がないようだった。

T先生が回診に見えたので、私は先生になぜ頭痛が止まらないのか尋ねた。
先生の回答は予想通り、免疫グロブリンの副作用だと言ったが、私は副作用の確率を前日調べていた。
嘔吐や頭痛の副作用はいずれも数パーセントで、それらが同時に発症するのは確率的に極めて低いことを
知っていた。しかも、頭痛のレベルは5段階で常に4以上のレベルである。
私は、ビッカースタッフ型脳幹脳炎の可能性はないのか?ということを遠回しに聞いた。
T先生は、その可能性は極めて少ないという、しかし否定はしなかった。
もう少し様子をみましょう、がんばりましょう、そう言った。

よく考えれば今日は日曜日だ。病院内全体に人が少ない気がしたが外来も少ないはずだ。
免疫グロブリン投与の副作用と思われる頭痛がひどく、更に嘔吐もかなり酷い。
何もできない自分が悔しかった。それでも傍にいるだけでも心強いだろうと、一日ベッドサイドで
見守っていた。食事が全くできない家内の前で、食事をするわけにもいかず、寝ている間に少しだけ
パンを食べた。

夜になり、面会終了時刻の8時が近づいてきた。
今日はあえて年配の看護師さんに「付き添いはやはり午後8時までですか?」と尋ねた。
優しい面持ちの看護師さんは、「大丈夫ですよ、奥さんの傍にいてあげてください。ただ帰られるときに
一言声をかけてくださいね」と笑顔で答えてくれた。
朝から夜まで病室に詰めている私の存在は、この頃になると看護師さんのシフトも一順したようで、
殆んどの看護師さんの顔がわかるようになり、逆に私の存在もひそかに話題になりつつあるようだった。
・ご主人、ずっと付き添って仕事は大丈夫なのかしら・・・
・色々と病気のことを調べているようだ・・・・
・奥さんは幸せね・・・(←そう噂になったか定かじゃないが(笑)

睡眠薬が効いたらしく、夜10時頃に家内は眠った。
一安心した私はそっと病室を出て、ナースステーションに寄り
「今日はこれで帰ります、今眠っているので後はよろしくお願いいたします」
そう告げて病院を後にした。


*** To Be Continued

自然回帰 - 2012.06.17 Sun

数十年前、この川を見た時とても臭くて気持ち悪かったのをよく覚えている。
不法投棄も多く、自転車や車のタイヤなどもゴロゴロとあった。
色は黒くいつもドブの臭いがぷんぷんとしていた。

私どもの会社がこの川の直ぐ傍に引っ越したのは今から20年ほど前になる。
その頃もかなり汚い川であったが、毎年のように綺麗になっていくのを記憶している。
先日、孫を連れて川沿いにある公園を散歩していたら、多くの小魚が群れているのを発見した。
辺りを良く見ると、あちこちに魚がいて、ときおり数十センチの大型魚(ボラ?)もいた。
黒いドブ砂も浄化されてきたのか、白い砂になりつつある。
小魚が多いためか、それを餌にする鳥も沢山やってくる。

高度成長時代、環境破壊などという言葉とは無縁で、工場や家庭の排水は無秩序に河川へ流された。
その結果、全ての川がドブ川と化し、川の生き物も消えていった。
上下水が完備され、自然保護の制度が整備されていく中で、川は自らの浄化作用で元の姿を
取り戻しつつある。そして生物もここに戻りつつある。
なんだか、とても救われるような安らかな気持ちになるのは、ここに住む人誰もが感じているのでは
ないだろうか?

最近、ホタルの写真を何度か目にすることがあり、ホタルが見たいと思い始めた。
最後に見たのはいつだったかわからないくらい昔のことだ。
多分、子供の頃だったのではないだろうか?
生まれ育った島で、近くの池の周りに多くのホタルがいたのを記憶している。
今ではほとんど見られる場所もないだろう、そう思っていた。
しかし、ご近所の方から直ぐ近くの川で見れる、との情報を頂いた。
なんと、その川は正にこの川であり、少し上流に行けばホタルがいるという。

梅雨に入り雨が多いが、是非ホタル探しに行きたいものだと思っている。
だって都会に住んでいて、ホタルが見れるなんて、風流で恵まれていると思いませんか?

府中大川2

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Author:tsutsui-s
広島県在住。
複数の会社と店舗施設を経営。自分に出来ないことはない、という自信過剰ぎみの精神力を糧に、新しいものに挑戦し続ける中年です。

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