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2011-11

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忙しい理由 - 2011.11.26 Sat

ツィッターもブログも少し放置状態が続いている。
特に理由はないが、湧き出る思いも少ないのかもしれない。
いや、いろいろと思いはあってもそれがネガティブな内容であると、
あまり文章にして残したくないため無口になるのかもしれない。

毎年この時期は忙しいように思う。
それを記憶しているのは11月23日の勤労感謝の日に休んだ記憶がないからだ。
勤労感謝・・・まさに私のための休日だ!と叫びたいところだが休暇をとった記憶がない。
今年も当然の如く仕事だった。
年も押し迫り年内にやり遂げたいことがいろいろと出てきて、気分的にも忙しい時期だ。
人に任せればいいものを、なかなか人任せに出来ない性分も祟っている。

何故人任せに出来ないか?それは自分の欲求に起因するかもしれない。
達成感というのは自分の苦労の量に比例するものだろうといつも思う。
達成感や満足感をあまり感じないという人には、「尽力が足りないのじゃないの?」と
皮肉を言ってやりたくなる。
働くことや行動の理由に、承認を得たいがためというのが結構多い。
そうじゃないと言いつつ多くの人はそうである。
しかし、その理由からは大きな達成感は得られない。
何故なら、見返りは全て自分にではなく相手にあるからだ。

見返りを求めず(承認を求めず)必死に取組んで自分で納得できる仕事をすること、
それで得られる達成感や満足感は心配しなくても必ず得られるものである。
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「痛み」について思うこと - 2011.11.12 Sat

「痛み」というのは人それぞれの感覚だと最近思うようになった。
原因不明の痛みで病院を訪れる患者も多いと聞く。
私もある痛みで随分昔から悩まされている。それは指の関節の痛みである。
眠っている間に手の指の関節が痛くなり、その痛みで目覚めることが多い。
最近少し酷くなり、毎朝目覚めると手の痺れと痛みが酷く、手を動かすこともままならない。
これはもう20十年ほど前からの症状で、過去に何度か病院へも行ったが原因はわからないままだ。
姉がリュウマチで心臓を患ったことからリュウマチについても調べてもらったが、
間接の炎症反応もなく、リュウマチではないといわれている。

長年のこの経験から、血流が悪いことが原因していることが自分なりにわかってきた。
ストレッチなどをして体を動かすと少し改善することもある。
睡魔が襲ってきて眠りに入るとき、多分血圧もかなり下がっているのではないか?と思う。
その瞬間から手が痺れてくることが多い。あ~、指先に血液が行ってない・・・と感じる。

足腰が痛い、肩が痛い、背中が痛い、頭痛や腹痛や胃痛・・日常的にあちこちが痛むが、
私の場合その頻度が多いように最近思いはじめた。
痛みというのは他人との比較が難しく、どの段階を痛みとして苦痛とするのか人それぞれだろう。
場合によっては大げさと考えることもできるかもしれない。
それでも私は人よりも痛みに対して敏感ではないか?と思うのはある事実からだ。
それは麻酔が効きにくいということである。
歯科でも麻酔は効かないことが多く治療に手間取る。だから大抵1本の歯の治療に数ヶ月~半年
の期間が必要になる。
また、恥ずかしい話、数年前に何度かお尻に巨大なおできができて病院で切開した際も麻酔は
全く効かなかった。風が吹いても痛いおできに注射を打たれる瞬間は気絶するくらいに痛いが、
その麻酔の注射が全く効かない。2回経験したが2回とも効かなかったので間違いない。
メスで切開する瞬間も、膿を絞られる時もあまりの痛さで大声をあげて暴れた(笑
それを制止するために、先生と看護師3名が私をはがいじめにして押さえつけるのです。
最悪なのは、場所が場所だけに下半身はスポッポンです!
一人の看護師が上半身を押さえつけ、二人の看護師がそれぞれの足を広げた上で押さえつけ、
先生がお尻を押さえつけて切開をするのです。
その時の屈辱と痛さの苦しみは何物にも勝るものがあります(笑
先生は「小学生でもおとなしいのにねぇ~」と更に追い討ちをかけるようなことを言います(涙

話がそれましたが、兎に角私は麻酔が効きにくく痛みが激しい、そんな風に思うのです。
幸い大病を患ったことや大怪我がないため手術経験がないので、そうした時にどうなのか?というのは
わかりません。しかし、麻酔が効かずに手術なんて恐ろしくて考えられないことです。

ちょっと体に合わないものを食べるとお腹が痛くなり、ちょっと疲れると肩や背中が痛くなる。
一時間も椅子に座ったままだとお尻や腰も痛くなり、姿勢を変えなくてはならない。
最近は耳たぶが痛いと感じたり、眼球が痛いと感じたりすることもよくあります。
他人よりも痛みに対して敏感かもしれない、そんな風に思いながらも、それに関して私は肯定的に
考えています。それは何故か?というと、「痛み」というのは重要な反応だと思うからです。
機械でいうなら警報や警告ランプのようなものだと思うからです。
異常に対していち早く痛みでもって警告してくれているのだと思うのです。
そうしたことで私は今まで大病をすることもなく過ごせたのでしはないかと思うのです。

よく、肩こりは全くない、疲れも知らない、徹夜しても平気という人が居ます。
しかし、そういう人に限って、病気に気付かず知らぬまに無理をして手遅れになることが多いようです。
痛みに敏感なことが良いか悪いかは、どちらもマイナス面はあるけれども、敏感な方がちゃんと体が
機能している証のように思えて安心感があります。

一方で心の痛みはどうなのだろうか?と考えると、これも他人とは比べる尺度がないためなんとも
言えませんが、私自身は感受性が強いほうなのかな?とも感じています。
遭遇する場面場面で過去の記憶や体験と照合され、嬉しくなったり苦しくなったり悲しくなったりする。
これは誰もが持っている感情の作用に過ぎませんが、何気なくやり過ごすこともできれば、立ち止まって
振り返り思考や行動を修正することもできます。
私は敢えて後者を意識的に選択します。だから違う結果を求めてあえて苦しい選択をすることもあります。
多少の痛みを覚悟すれば、その後の喜びは痛みの相殺分増すものと思うからです。

痛みに対してどう向き合うか?そして痛みを肯定的に受け入れること、私にとっては重要なことです。
それらは、考え方によっては不満の種に替えることもできます。しかし、体も心も変わらないなら、
それらを受け入れるほうが楽に生きられるのではないかと思うのです。
ただ・・・二度とお尻のおできの切開には行きたくないですが(苦笑

「もったいない」の科学 - 2011.11.09 Wed

「もったいない」という言葉は日本独特の感覚の言葉で、現在欧米でもこの日本的美意識を
称賛する声がよく聞かれる。
しかし、この「もったいない」という言葉の意味って実に曖昧ではないか?と私は思うのです。
大別すると「もったいない」には二つの意味がある。
一つは物を無駄にして惜しいときなどに使う言葉、そしてもう一つは自分には不釣合い、おそれ多い
など謙遜して使う言葉だ。
日本人はあらゆる場面で度々この言葉を使うが、外来語に置き換えるのは確かに難しいかもしれない。

高齢の儀父母が住む家内の実家をリフォームすることとなった。
バリアフリーにしてオール電化にし住み良くするためだ。
しかし、その価値観というのは体験のない儀父母にはなかなか理解できないようである。
とりあえず、今あるものを壊したり捨てたりしなくてはならないが、ここで度々「もったいない」に
出くわして足止めを食ってしまうのだ。
昔の人は物を捨てるという感覚がなく、それはある意味悪として捉えるため何でもとっておくようになる。
そのため、古いもの、使わないものが家の中に所狭しとあふれている。
しかし、何十年も使わなければされらは使い物にならなくなっているものが多く、まさにもったいない
限りである。

ここで、「もったいない」の対立がおきるのである。
・こんな上等なものを使うのはもったいない
・古いものがあるのでもったいないから新しいものは使わない
・もったいないから保管してきた。
・そのために居住空間が狭くなり保管場所をとってしまうことがもったいない。
・長期間保管していたため朽ちたり不動になり使えなくなってしまいもったいないことをした。
・やむなくそれらを捨てるというと、捨てるのはもったいないという。
・それでも処分せざるを得なく産廃業者にお願いして処分するが費用がかかりもったいない。

というわけで、そのもの自体は何も価値を生まないまま「もったいない」のオンパレードで産廃処理場で
最後を迎えた。こうして考えると、ほんとうに「もったいない」は美学なのだろうか?と思う。
もったいないという言葉の目的は無駄にしないということが最大の目的であるはずなのに、
もったいないということばによって多くの無駄を生じていることは多い。

もったいない=エコという図式も多いようで、ここでも間違いが多い。
ゴミの分別は実は多くの無駄がありまさにもったいない行為なのだ。
しかし、リサイクル法によってペットボトルなどは回収してリサイクルに回される。
そのための人件費、運搬費、裁断やリサイクル加工に伴う燃料費と人件費、これらは元のペットボトル
よりも遥かに多くの費用と燃料を消費してしまう。だから、これらは燃料として焼却場にて一緒に
燃やされるみとが殆どらしい。
分別したものを、処分場で一緒にして燃やす・・・まさに手間がもったいない。
ペーパーのリサイクルだって、リサイクル率100%の表示が偽造であったことで製紙会社の問題があったが、
リサイクル100%のペーパーは色・質とも悪いのに、新パルプのペーパーよりもはるかにコストがかかるため、
実際にリサイクル100%のペーパーは市場価格も高くなっている。
それでも、リサイクル紙を義務つけるのはおかしくないか?
日本の森林は森林業者がいなくなり間伐ができず大問題になっている。
とりあえずお金をかけて間伐しても、材木は山に残したままが殆どだ。
そのため大雨の洪水などのとき、伐採した材木が流れ出し災害を大きくしている。
森林は不足しているのではなく余っている。無料ででも引き取って紙にして欲しいのに国は認めない。
エコなんていうのは自己満足の象徴みたいなもので、間違いがほんとうに多い。

エコとおなじような意味で「もったいない」というのも間違いが多いのではないかと思う。
電気代がもったいないから掃除機を使わずほうきで掃除をする、というと正しいように聞こえるが、
それは誰が考えても、時間がもったいない行為であることがわかり間違いだと気付く。

本当のエコ、本当のもったいない意味を考えると、「大切に長く使うこと」ではないか?と思う。
これは、物だけでなく人についても同じだと思う。
人の入れ替わりの多い会社は、人件費がかさむ割に会社としても成長しない。
儀父母の家については、築50年ということもあり当初は建替えも提案していた。
今の住宅は断熱性も高く簡単な構造で直ぐに建築できる。
しかし、昔のような日本建築の良さはない。
そこで50年前の建物をそのままに、立派な柱や梁をそのまま残して、完全リフォームであと30年は住める
建物へと改修することにした。TVのビフォーアフターみたいな感じだが、私は匠でなくとも匠以上の
ものを実現する自負がある。
便利で、美しく、大切に長く使える、究極のもったいない美学を考えているから。

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tsutsui-s

Author:tsutsui-s
広島県在住。
複数の会社と店舗施設を経営。自分に出来ないことはない、という自信過剰ぎみの精神力を糧に、新しいものに挑戦し続ける中年です。

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