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2017-06

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ネタ - 2015.12.04 Fri

 このブログも来春で丸5年となる。
日記のつもりで、と軽い気持ち始めたので書くことは事欠かないだろうと思っていた。
しかし、少数ではあれ不特定多数の人が目にする場所に、日常の出来事をあからさまに
書き綴るのは気が進まない。

 趣味は多いほうだからネタが切れることはないだろうとも思っていたが、
それも、人に自慢できるほどの趣味はなく、どれも中途半端なものばかり。
そもそも趣味を公表する目的ってなんだろう?と考えたりすると、またまたどうでもよくなる。

 こころの底から叫びたいような思いがあったとしても、一度蓋をしたらその場所の蓋は
二度と開くことはない。
となると、書くネタが何もなくなってしまう。

 正直、このところ表現力やボキャブラリーの乏しさを痛感することが多く、
書くこと、話すことが少し億劫にもなってきている。
なんていうか、還暦も近い年齢になってくると、もっと説得力があり重みのあることを発信しなくちゃ
いけないんじゃないのか?などと思うのだ。
普段身に着けるものも、若いうちならセンスが良いと評価されるものも、それなりの年齢になれば
安っぽく、ちゃらけて見えるものも多い。歳相応とでも言うか・・・
年齢なりに自分の価値も上げていくというのは大変な努力が必要だろうと思う。
自分が人の目にどう映っているか?というのはなかなか理解しがたいものだ。
自分というフィルターを通してでしか考えられないから価値観に偏りができる。
自分が目標とするような人間、憧れる人間を探すことが大切なような気がする。
もっと違う世界の扉も開く勇気が必要なのかもしれない。
全く成長がないネタ切れ状態を脱するためにも。
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あれから何日 - 2014.04.13 Sun

 よく考えてみれば今月で、ブログを初めて丸3年が経過した。
投稿数は約280編、殆ど長文だから文庫本にすると数冊分?あるかもしれない。
その他にも書き物というと、ツィッターや社内報など続けているので相当の文章数になる。
その割に、文章力というか文脈や校正があまり上達していない(^^;

 社内報は別として、もともと誰かに読んでいただくためという目的は殆どない。
記録として、生きた証として、その時何をして何を考えたか?それを残すためだ。
手書きの日記にすればいいようなものだが、何十年もPCを使って文章を書いていると、
忘れてしまう漢字が多くひらがなばかりの文章になってしまう。
だから、メモ程度のことしか手書きでは書かない。

 さて、丸3年というのは長いようでとても短い月日だった。
しかし1000日以上なんだな、と考えるととても長い期間に思える。
1年という単位は地球の公転の単位で、一シーズンに値するため感覚としてわかりやすい。
しかし、1年という長さが長いか短いか?と考えるとどちらともいえない。
長いといえば長いが、あっと言う間にも思える。
これは時間として感じるには長すぎる時間であるため、概念的に長さを考えてしまうからだろう。
では1年をもう少し小さい単位にして考えてみる。
1ヵ月、1週間、と分けられるが、どうもこれは区切りとしてピンとこない。
暦上の区切りであって、人間の活動や生命のサイクルとして合致しない。
そうなるとやはり1日という単位しかない。
1日は地球の自転のサイクルでもあり、ある意味サイクルとして分けられる最小単位ではないか?

 ということで、何日経過したか?ということがいろいろと気になってきた。
まず・・生まれて・・・・20000日以上は経過している!!
そう考えると、人生って決して短くはない、と思う。
成人してから13000日以上。
成人してから何かに毎日挑戦したとしたら13000回以上挑戦できたわけだ。

 いろいろ気になって、結局こんなものをちょっと作ってみた。

あれから何日
本日の日付の関数は「=now()」、あとは日付を入れたセルの下に引き算の数式を入れるだけ。
超簡単ファイルだけれども、人生の節目の日付を入れていくとびっくりすることばかり。
独立してもう12000日以上!ブログは今日で1106日目
バイク関連は再下段の通り(^^
ある意味大型自動二輪を取得して14000日以上の超ベテランライダー(実は36年のブランクがある(笑)
ちょうど一年になり点検の案内が来ていたトリッカーはどうする?
実はまだ300kほどしか乗っていないので(1000k点検もしていない)1年点検できない(汗

 どれだけ経過したのか?が気になるのは歳の所為だろうか?
しかし、どれだけ続けたか?どこまで続けたいか?ということを意識すると、
自分の目標や夢に近づいていくような気もする。
このファイルはいつでも開けるようデスクトップにおいておくことにしよう。

丸2年 - 2013.06.01 Sat

 ふとブログの履歴に目をやると、なんと始めて丸2年経過していました。
ついこの前開始したような気がするのですが・・・

 2年間で何か成長したのだろうか?進歩したのだろうか?そんなことを考える。
孫を見ていると2年で随分と成長したと思うし、ご近所の子供たちもしばらく見ない間に
随分と大きくなっている。
一方で、私は2年でどのくらい老いただろう?と考える。
気持ち的には何一つ変わった気はしないが、体力的には年々弱っている気がする。
朝起きるのがしんどい、朝食があまり食べられなくなった、間接が痛い、耳鳴りが酷い、
不整脈が相変わらず起きる、腰が痛い、胃の調子が悪い、視力が落ちた・・
と、あげたらきりがないくらいあちこち調子が悪い。

 ストレスという面においては一般の人と比べると多いかもしれない。
ただ、ストレスに関してはそれを感じやすい人とそうでない人とでその度合いは大きく変わる。
私の場合は比較的感じやすいほうかもしれない。
自分の会社が倒産しても、へっちゃらな顔していつもどおりに笑顔の人がいる。
どうしてそんなに普通でいられるの?と疑問に思うが、心中は知る由もない。

 この先どんなことが起きるのか?どんな苦難が待ち受けているのか?
そう考えるだけでも結構ナーバスになったりもする。
それは、支えているもの抱えているものが思っている以上に大きいからかもしれない。
税理士がよくリスクマネジメントの一つとして「もし社長が死んだら」というシュミレーション
をしてくる。それを見て、死んだら全ておしまいですよね、それは分かっています、と思う。
しかし、死なずとも病気や怪我で仕事が出来なくなるだけでも周りに多大な影響を及ぼしてしまう。
それを考える時、不安になってしまう。
自分だけなら多少どうなっても構わない、そう思うがそうはいかない現実があるのだ。

 あっという間に時が過ぎ去るのは寂しくもあるが、何事もなく時が過ぎ去るのは嬉しくもある。
もう3年、もう4年とここを振り返ることができる日が続いて欲しいと思う。
何もないということは安定しているということでもある。
変わっていくことと変わらないこと、このメリハリが人生には大切だと思う。

書くこと - 2012.08.07 Tue

ちょっと油断すると直ぐに放置状態になってしまうブログ。
だからと言って何も問題はないのだが、なんだか焦ってしまうから不思議だ。

今の時代は「書く」ではなく「打つ」であるが、方法は別として文章を書く作業は
毎日絶え間なく続いている。
このブログやツィッター、そして社内報など、緊急ではないが思いを綴るもの、
そして、メールや書類や見積り書など緊急のもの。
考えてみれば、「話す」こと以上に文章として「打つ」ことのほうが多いと思う。
一日じゅう殆んど話すことなく終わる日もある。
脳の作業としては、話すことと文章にすることとでは基本的に異なるような気がする。
話す言葉というのは、直感的に、反応的に言葉になるが、
文章の言葉というのは、一旦頭の中で想像した後に並べ替え、体裁を整えて作られる。
どちらが沢山、脳を使っているのかはわからないが、歳をとってもボケない方法としては、
話すこと、書くこといずれもとても有効的な方法ではないかと思っています。

私の場合、聞くこと、読むことは相対的に少なかった気がする。
話すことと聞くことでは、話すのは一人で聞くの複数人の場合もあることから、
当然「聞く」作業の方が多いと思われる。
書くことと読むことも、書くのは一人で読むのは複数人であることから、
やはり読む機会の方が多いと思われる。
発信する側、つまり話すこと、書くことの機会が多い人はリーダー的存在ではないか?
と思うのだが、人の心をひきつけるような会話や文章を書くには、聞くこと読むこと、
つまりインプットの量が重要だと思う。

と、いうわけで支離滅裂だが、インプットの聞くこと読むこと、これに暫く努力してみようと
最近考えています。そうすれば、アウトプットが磨かれるのではないか?ってね。
その一環として今年のお盆は東京でセミナーを受講することとなりました。
久々のセミナー、楽しみでもありちょっと憂鬱でもある。
3日間終了後、何か変化があるのかないのか?お楽しみに、といったところ。

ここは続ける選択をした - 2012.06.09 Sat

先の書き込みの続きになるが、続けるかどうかの選択のなかに、このブログがある。
もともと継続するかやめるかなどと悩むほどのものでもなかった。
いつやめてもいいし、再開してもいい、そうした意味においてツィッターも同じだ。
誰に強制されることもないし、何かに影響を与えるものでもないから、
やめることに対してなんら抵抗がなかった。

しかし、継続することにした。
ひょっとしたら、少しばかり誰かに影響を与えているとするなら、読んでくれている人
が一人でも居るとしたのなら、わずかながらも、義務と責任もあるというもの。
第三者でなくとも、自分自身に対しても影響を与えているとするなら、悪いことで
なければ継続する理由の一つになると考えるのです。

思いを活字に残しておくというのは、生きた証として最も適切な方法と思います。
あの時、何を思い何を感じたか?振り返ることができます。
私たちは忘れていくことで新しい道を開いていきますが、思い出すことで振り返る
ことができます。しかし、なかなか思い出すというのは難しい作業です。

忘れないためにではなく、振り返るときのためにも続ける意味があるかと思うのです。

ブログと日記 - 2011.07.12 Tue

ちょっと気を抜くと、直ぐに数日間開いてしまう。
ブログを日記という位置づけで見る人は多いようだが少し違うようだ。

かつて少年時代、毎日日記を書いていた時期がある。
年間日記で、今のシステム手帳の大型みたいなものである。
365ページで日付が入っていて、弁当箱くらいのブックタイプであった。
数日飛ばしてしまうと、当然空白のページができてしまう。
だから、欠かさず毎日何かを記録していた。
それが苦か?というと案外そうでもない。

朝起きたら歯を磨き、服を着替え、髪のセットをする・・・
こうした行為は休むことなく365日続けているが、それほど苦ではない。
日記帳はベッドの宮の棚に置いてあり、たいていの場合寝る前に書いていた。
これは、歯を磨くことや服を着替える行為と同じく、日常のサイクルに組み込まれた
作業の一つだったので、なんていうことはなかった。

ブログを始めて、できるだけ毎日記録しようと思いつつ、
なかなかそれが大変な行為であることに気付く。
「いつでも、何処にいても書ける」この便利さが、日常のサイクルに逆に溶け込まない
のである。いつでも書けるから今でなくても・・そう思っているうちに一日が終わっている。

思えば、メールや携帯などの通信技術というのも、人と人との繋がりを遠くしたように思う。
いつでも連絡できるので、挨拶状やお礼を忘れたり、取引先や知人を訪問することも殆ど
なくなったように思う。
便利さと引き換えに私たちは大切なことを少しずつ忘れていっているような、
そんな不安を抱くことがある。

ブログのあり方 - 2011.04.07 Thu

今だに、ここは誰にも公開していない。
だから当然ながらコメントもつかない。
このコメントがつかないことによる、孤立感や孤独感みたいなものがある意味心地よい。
昔、ある施設のHPで掲示板を立ち上げたところ、人気が出てきて多い日には5~60もの
コメントや質問がつくことがあった。
毎日、それらのコメントに返信するため数時間を費やされる日々が続いた。
ブログは書きたいときに書いて、暫く放置しても問題ないが、掲示板は誰もがいつでも
書けることから、毎日返信せざるを得なくなる。
次第に時間の経過と共にネットの呪縛に疲れを感じるようになってきた。
少しずつ自らが書き込みを減らし、レスもスタッフに任せていくことで、約2年かけて開放された。
そんな、経験もありコメントのつかないここが少し心地よくもある。
ツィッターにおいても、積極的にはこちらから@マーク付を発信しないことにしている。
なら、いったい誰に向けて言葉を発しているのか?という疑問が生まれる。
一番の相手は自分自身であろうと思う、かるーい公の場で言葉を発することで、
自分自身が確認と納得の作業をしているのだろうと、そう思うのである。
しかし、いずれは公開することになるだろう。
そんなにもったいつけるほどのものでもないので。

とりあえずブログスタート - 2011.04.03 Sun

とりあえずブログをスタートした。
今まで、まわりから「ブログは?」とよく聞かれ「作るつもりはない」と答えてきた。
ブログ=日記という概念が強く、日記というのは自分と正直に向き合い、包み隠さず
思いをそのまま書くものと思ってきたため、多くの人目にさらすブログは書けない
と自分の中で思っていた。
かつて、中学生の頃から成人する頃まで毎日日記をつけていた時期がある。
誰にも相談できないことも、もう一人の自分へ向けて自問自答するなかで、答えを
見出したこともある。曖昧な思考を明確な持論に結びつけたこともある。
そうした日記のあり方を思い出すと、ブログを始める気になれなかった。
少なからず人目を気にして綴ることになるであろうことを思うと、自分を美化したり
八方美人的な言葉を選んでしまうのではないか?と。
と、まああれこれこじつけがましいことを思いつつも始めることとした。
理由は簡単、ブログ=日記ではない、と気付いたからだ。
それでも、できるだけ自分に対しては正直であろう、そう思う。

タイトルは「日々是好日」、好きな言葉の一つだ。
どんな日もどんな時もどんな状況でも、人は生きていかねばならない。
それが使命なら、状況を受け入れその中からプラスを模索していこうと、そう思う。
たまには吐露することも愚痴を並べ立てることもあるだろうが、できるだけ前向きに
プラスにフォーカスしていことう思う。

ちなみに、暫くはこのページはツィッターやHPにリンクはしないつもり。
気が向いたころ公開しリンクを貼ります。

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tsutsui-s

Author:tsutsui-s
広島県在住。
複数の会社と店舗施設を経営。自分に出来ないことはない、という自信過剰ぎみの精神力を糧に、新しいものに挑戦し続ける中年です。

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